僕の読書感想文

読書感想文です。筆者の主観です。

読んでいない本について堂々と語る方法/ピエール・バイヤール 大浦康介訳

★★★★☆

 

 

概要:

本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでいないほうがいいくらいだ−−大胆不敵なテーゼをひっさげて、フランス文壇の鬼才が放つ世界的ベストセラー。

ヴァレリーエーコ漱石など、古今東西の名作から読書をめぐるシーンをとりあげ、知識人たちがいかに鮮やかに「読んだふり」をやってのけたかを例証。

テクストの細部にひきずられて自分を見失うことなく、その書物の位置づけを大づかみに捉える力こそ、「教養」の正体なのだ。

そのコツさえ押さえれば、とっさのコメントも、レポートや小論文も、もう怖くない!

すべての読書家必携の快著。

 

 

感想:

人をくったようなタイトルだけれども、内容はいたって真面目である。

 

「教養を身につけなければ……!そうだ!本をたくさん読もう!」

と決心して最近必死に本を読み始めた自分には衝撃の一冊だった。

考え方がひとつ変わった。

 

私は自分が他人に比べて圧倒的に読書量が少ないことを後悔していた。

その時点で私は既に、「教養」という幻想と重圧に騙されていたのだ。

 

例えば私はアリストテレスも、プラトンも、ホッブズも、ジョン・ロックもよんでいない。

そして他の人、特に文系の知的エリートとされる人々というのは全員こういった有名どころの書物は読んだことがあるのだと思い込んでいた。

 

しかしよくよく考えるとそんなはずはないのだ。

この本に書いてあるとおり、「読んだ」状態と「非−読んだ」状態というのははっきり分かれているものではく、連続的な状態である。

上記の世界で最も有名だと思われる学術的著作にしても、「読んだ」と豪語する人がいたとして、はたしてどこまで「読んだ」と言えるのか、疑問である(そもそも日本語で読んでいるとしたら、「読んだ」ということにはならない気がする)。

 

もちろん、訳すら読んだことのない私でも、上記学者たちのおおよその位置づけは理解しているし、ある程度その著作について語ることができる。

それは大学で習ったことでもあるし、政治学史などのまとまった本から学んだことでもあるからだ。

ピエール・バイヤールの主張としては、そのような状態であれば、十分にその本の内容について「堂々と語る」ことができるという。

 

たとえその本を一通り読んでいなくても、自信をもって堂々と語ればいい。

気後れする必要はない。

なぜなら、本を「読んだ」「非-読んだ」かは誰にもわからないからだ。

とすると、主体的に本の内容を創造していけばよいのだ。

その書物のおおよその位置づけさえつかめれば、語ることはできる。

 

本著を読んで、もっと気軽に読書をしようと思った。

細かいテクストにひきずられて自分を見失うことがないようにしなければ。

 

「知識人」の幻想を怖がらなくなりそうだ笑