職業としての小説家/村上春樹
★★★★☆
概要:
「村上春樹」は小説家としてどう歩んできたか----作家デビューから現在までの軌跡、長編小説の書き方や文章を書き続ける姿勢などを、著者自身が豊富な具体例とエピソードを交えて語り尽くす。
文学賞について、オリジナリティーとは何か、学校について、海外で翻訳されること、河合隼雄氏との出会い……読者の心の壁に新しい窓を開け、新鮮な空気を吹き込んできた作家の稀有な一冊。
感想:
前提として、私は村上春樹の本をちゃんと読んだことがないことを申し上げておく。
いつだったか、地元の本屋で「パン屋を襲撃する二人組の短編」を読んで「なんだこの話、めちゃくちゃつまんない話っぽいのにめちゃくちゃ面白いし引き込まれる」と感じたことはある。
私の村上春樹体験はそれだけだ。
世の中には「ハルキスト」なる村上春樹ファンの人がいて、下手な批判をするとめちゃくちゃ怒られる気がする……という程度の認識である。
今まで読まなかったのはたぶん、そういう小洒落た文学ちっくなものを読んで悦に浸るような人間になりたくないなという漠然とした不安からだった。
今回この本を手に取ったのは、なんか面白そう、というただそれだけ。
本と出会うきっかけなんてそんなもんでしょ。
率直な感想をいくつか。
まず村上春樹という人を少し誤解していた。
いつもいつもノーベル文学賞を逃しているおっさん、程度に思っていたが、全然違った。
私はてっきり村上春樹とは「権威」の一人だと考えていた。
ところが彼は全く逆で、権威に虐げられてきた側の人間だった。
私的に表現するとすごいパンクなおっさんだった。
とにかく彼は自分の書きたいものを書き、やりたくないことはしない。
文壇なんていう集団に属することもなく、黙々と作品を書き、毎日走る。
文芸評論家や批評家なる人々からいかに酷評を受けようとも、「まあそういう意見もあるだろうな」という程度で流す。
なんてったって自分は好きなことをやっているんだから別にいっかー、という無敵の論理で受け流す。
彼の姿勢はまさに孤独な職人のそれである。
自分の納得できるものを追及する。好きなことに全エネルギーを捧げる。
まさに理想の生き方だと思った。
文壇やら、日本の文芸界が鬱陶しくて海外に進出する話もすごく好きだった。
嫌ならその場所から出て行って他の場所で成功すればいい、という潔さ。
以上のように、村上春樹はイメージと全然違う人だった。
次に、小説の書き方のようなものについて。
これは村上春樹がどのように小説を書いているかを、具体的なストーリーを交えて描いてくれていた。
文章を書くことにすこしでも興味をもっているなら必読の箇所だと思う。
私は以前の記事でディーン・R・クーンツの「ベストセラー小説の書き方」を紹介した。
クーンツと村上春樹の「小説作法」に関しては、面白いように似ているところと、面白いように似ていないところがあったので、紹介したい。
似ている点について。
第一に、村上春樹もクーンツも、「とにかくたくさん本を読め」というところは共通していた。
村上春樹の場合は、「小説を書くには小説がどういうものか知っていなければならない」ということで、とにかく小説を読めということだった。
クーンツの場合は、小説でも新聞でもどんなものでもいいからとにかく活字を読め、ということだった。
この点で違いはある。
しかしとにかく、作家としてはひたすら小説を読まなければ豊かな想像力を養成することはできないという点は共通していた。
ひたすら小説を自分の身体に通す。名文でも駄文でもいいから、とにかく浴び続ける。
その重要性はどちらも共通していた。
第二に、どちらも推敲を重ねるというところは共通していた。
私はてっきり、村上春樹という人は「思いつくままに文を書いていって、それを本として出している、いわゆる天才」だと思っていたのだけれども、そうではなかった。
彼はとにかく原稿用紙10枚分(ワープロでいうと2枚半)を5時間かけて毎日コンスタントに書き続ける。
そうすると半年ぐらいで一本話ができあがる。
その後、1週間休んでから全体をどんどん修正していく。大きく修正する部分もある。
それが最後まで終わると、また1週間休んだ後、修正していく。
そうしてできあがったものを妻に見せて、何か言われたところがあれば直していく。
こうして推敲に推敲を重ねてから、原稿を出版社にもっていくらしい。
思っていたのと違う。全然思いついたままをパッと出しているのではなかったのだ。
とりあえず、小説を書くときはとにかく一本書き上げてから、修正していこう。
異なる点について。
クーンツは、ひたすらプロットの緻密さを求めていた。
どんな結論になるか、それが登場人物たちの手に委ねられるようなことはナンセンスであると。
行き当たりばったりの小説はつまらない、大したものにはならないということだった。
これに対して村上春樹は、とりあえず書き始めて、登場人物がどのように動くのか楽しみながら書き進めていくらしい。
ときには、登場人物の発言一つによって、物語が全く別の方向に進むこともあるそうだ。
これは、クーンツが大衆向けの小説を書いていて、村上春樹が文芸的な小説を書いているというところから派生する相違点であるとも思える。
しかし、村上春樹のいうとおり、たとえ登場人物の性格が第一稿では一致していなかったとしても、推敲をするごとに修正していけば問題ないような気がする。
なにより村上春樹の方が正しいように思えた理由がある。
それは、村上春樹は「小説を書くのはとにかく楽しいし、つらいと思ったことはない」と言っていたことだ。
これに対してクーンツは「小説家ほどつらい仕事はない」と言っていた。
どうせなら楽しい方を信じてみたい、というのは私の自己満足だろうか。
というわけで、村上春樹もクーンツもどちらも一流の職業作家なわけだが、以上を踏まえて思うのは
・本をとにかくたくさん読まなければならない
・小説の作法は人によって全然違う。成功している人の中でも全然違う。
・好きなようにやってみるしかない
ということだ。
小説の書き方については以上。
全体的な感想としては、「村上春樹の小説が読みたくなった」ということだ。
彼の職人としての素晴らしさ、人間としてのこだわり、確かな才能は十分伝わった。
エッセイを読むだけでも伝わって来る。絶対に彼の作品は面白い。
というわけで、早速「風の歌を聴け」を買ってきた。楽しみだな。
まあ、村上春樹の生き方を真似ようとして、破滅していった人も多いんだろうなと思った。
彼は才能と運に恵まれたのであって、すべての人間が村上春樹になることはできない。
それを忘れて怠惰な作家もどきになってしまった人も数多くいるような気がする(勝手に)。
そこんとこ肝に銘じて、自分の人生を見極めていこう。